吉永小百合の夫・岡田太郎の結婚までの馴れ初めと子供がいない理由について調べてみました。
吉永小百合と岡田太郎の結婚までの馴れ初め
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1973年、吉永小百合は28歳の時、15歳年上のフジテレビディレクターの岡田太郎と結婚。
初婚の吉永小百合の相手が、離婚歴ある一般の中年男というのは、当時大事件でした。
岡田太郎は一般人ですが、そこは天下の美女、大スター吉永小百合の結婚相手。
ツーショット写真が出回り、岡田太郎が本当に普通の中年男なので、誰もが驚きました。
女優として映画・テレビ出演の他、紅白歌合戦にも5回出場の人気歌手だった吉永小百合。
日本全国に「サユリスト」なる熱狂的ファンのいた、大スター吉永小百合とは言え人間。
休む日もない過密スケジュールの結果、吉永小百合は体調不良に陥ってしまいます。
声がうまく出なくなり、精神的にも行き詰まっていた時、声をかけたのが岡田太郎。
「今できることを一生懸命にやれば、それは見てくれる人がきっと分かってくれるよ」
こうして優しく支えてくれた岡田太郎と、吉永小百合はこの後、交際に発展したそうです。
岡田太郎は、吉永小百合が19歳の頃からの知り合いなので、安心感もあったのでしょう。
芸能人の吉永小百合とテレビマンの岡田太郎は、数年間の交際を経て職場結婚しました。
吉永小百合と岡田太郎の子供がいない理由
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日本中の「サユリスト」が悲しんだ、大スター吉永小百合の結婚式は、簡素でした。
1973年8月3日、二人の挙式は岡田太郎のフジテレビの仲間、千秋与四夫の高輪の邸宅。
出席者は千秋与四夫と妻の畠山みどり(歌手)と、先輩女優の奈良岡朋子だけ。
奈良岡朋子は母親代わりの介添人役で、吉永小百合の両親は挙式に出席していません。
離婚歴ある15歳年上の岡田太郎との結婚に、吉永小百合の両親は激怒していたからです。
当時、親子の断絶も辞さないほどだった、吉永小百合とご両親の関係はとても複雑。
吉永小百合の母親は、娘を立派な女優に育てるため、かなりの教育ママだったそうです。
父親は事業に失敗した後、女優・吉永小百合のマネージャーになりました。
その結果、吉永小百合は小学6年生の時から、吉永家の家計を支えていました。
吉永小百合は親孝行な子だったので、吉永家の現状もわかっていたのでしょう。
全て親の言うがままで、吉永小百合は自分を抑える少女時代を過ごしたそうです。
吉永小百合は結婚願望はあれど、「母」「親」に憧れがなかった原因はここにありそう。
自分も母になったら、子供を束縛し苦しめてしまうのではないか?というトラウマ。
吉永小百合は結婚して「吉永」姓が変わったことを、とても喜んだそうです。
それでも親になる自信がもてなかったのは、やはり両親との確執にあったと言えそうです。
岡田太郎も吉永小百合も、結婚はしても親にならず、仕事人間の道を歩んでこられました。
二人にとって、その選択が幸せな人生ならば、他人様が口を挟めるものではありません。
夫・岡田太郎の病気説
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勤め人として順風満帆に、共同テレビ社長、会長、取締役相談役を歴任した岡田太郎。
そんな岡田太郎は2014年、84歳の時に肝臓を患っています。
詳しい病名は伏せられておりましたが、一時は危篤状態の、かなりの重病だったそう。
吉永小百合はこの頃、映画「虹の岬の喫茶店」の出演と企画も担当していました。
仕事をこなしながらの吉永小百合の献身的な看病により、岡田太郎の病状は回復。
退院後、吉永小百合は岡田太郎のために自宅をバリアフリー住宅に改築したそうです。
吉永小百合の夫とはいえ岡田太郎は一般人ですので、その情報は限られています。
吉永小百合は2020年4月現在75歳ですので、その15歳年上の岡田太郎は90歳になります。
病気が回復したとしても岡田太郎は高齢者ですし、吉永小百合とて若くはありません。
そんな吉永小百合は、今も現役の人気女優ですので仕事もあります。
健康になったとしても、岡田太郎に介護士などついてる可能生は、十分考えられます。
吉永小百合と岡田太郎は不仲説
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吉永小百合と岡田太郎に、別居の噂があり不仲説が囁かれた事があります。
噂は岡田太郎のため、吉永小百合が自宅をバリアフリーに改築した事にありそうです。
改装工事のため一時的に引っ越したマンションを、吉永小百合が衣装部屋としても使用。
そのことが二人の別居生活説、不仲説に発展したようです。
実際は、改装した自宅マンションと衣装部屋は至近距離で、別居はしてないよう。
天下の大スター吉永小百合ですから、自宅を二つ持っていてもおかしな話ではないです。
吉永小百合が、公使共に完全に行き詰まっていた状態から、開放されたのは結婚でした。
吉永小百合は、結婚していなければ、女優をやめていたと思うとも述べています。
結婚するまで料理もできなかった吉永小百合は、料理学校に行き腕を磨いたそうです。
岡田太郎は吉永小百合の作料理が大好きだそうで、不仲説は悪い噂だったと言えます。
吉永小百合と渡哲也の関係
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共に70代の吉永小百合と渡哲也は、宝酒造の清酒「松竹梅」のCM共演でお馴染みです。
「松竹梅」のCMは、石原裕次郎が1970~1987年まで、長きに渡り出演していました。
石原裕次郎亡き後、同じ石原プロの渡哲也が引き継ぎ、吉永小百合は10 回目の出演。
そんな渡哲也と吉永小百合は、1966年に日活映画「愛と死の記録」で初共演しました。
年下の吉永小百合は既にトップスター、渡哲也はこの映画でブルーリボン新人賞を受賞。
吉永小百合と渡哲也は当時、格が違いましたが、二人はこの後、交際に発展しました。
作家、中平まみの2011年作品「小百合ちゃん」に、当時の二人の交際が書かれています。
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吉永小百合と渡哲也の仲は、周囲には公然の関係だったようで、交際は2年続いたそう。
渡哲也は結婚後は、吉永小百合を引退させ、家庭に入ってもらいたかったようです。
そんな吉永小百合のマネージャーでもある父親、そして母親も交際は良いが結婚は反対。
表向きの反対理由は「あんなモテる男じゃ、(小百合が)苦労する」からだそうです。
吉永小百合が結婚し、芸能活動を引退すると、吉永家は大黒柱を失います。
吉永小百合の両親の、こちらが本当の渡哲也との結婚反対理由だったと言われています。
結果的に、吉永小百合は渡哲也ではなく、両親をとりました。
その後、渡哲也の結婚のニュースに、吉永小百合は「悔いがある」と泣き通したそう。
両親が激怒しても、岡田太郎と吉永小百合が結婚したのは、この後悔が原因と思われます。
渡哲也は近年、闘病生活の中撮影されるCMに、吉永小百合との共演を希望したそうです。
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