元ジャニーズの芸能人まとめ!ホスト・舞台俳優・バンドマン・杉浦太陽!

ジャニーズ事務所に家族が履歴書を送り、ジャニーズJr.として活動を始めるタレントは多くいます。

デビューして、日の目を浴びるタレントもいれば、デビューできないまま退所し、別の道にすすむ人もいます。

また、デビュー後にアイドルとしてではない生き方をする為に、退所する人もいます。

退所した後は、芸能活動を続ける人もいれば、芸能界を引退し一般人として生活する人もいます。

ジャニーズ事務所はアイドルと呼ばれるタレントがたくさんいます。

歌も歌えて、踊りも踊れて、演技もできる、マルチに活躍できるタレントを多く輩出しています。

その中で、歌を歌うことに特化したい人や演技することに特化したい人は、事務所を退所していく傾向があります。

ジャニーズ事務所を退所した後というのは、いろいろな生き方をしている人がいます。

元ジャニーズの人が現在、どのように過ごしているのか見ていきたいと思います。

田原俊彦

1994年、ジャニーズ事務所を退所した後、メディアでみかけなくなった田原俊彦。

しかし、今や司会業としてメディアに出演するようになりました。

入所してからの活躍、退所後の活躍を詳しく見ていきます。

1976年、ジャニーズ事務所に入所した田原俊彦。

入所の際、履歴書を送りましたが、返事がきませんでした。

その為、事前連絡せずに事務所を直接訪問しました。

そして、ジャニー喜多川社長の場所をスタッフから教えてもらい、本人と直談判

そして、入門を認められるという、変わった入所の仕方でした。

1979年に近藤真彦、野村義男と「たのきんトリオ」の愛称で親しまれ、学園ドラマ「3年B組金八先生」に出演しました。

そして1980年「哀愁でいと」でデビューすると、1980年代のトップアイドルとして活躍しました。

その後、ドラマ「教師びんびん物語」などに出演するなど、歌手として、俳優として、活躍してきました。

しかし、1994年3月1日に個人事務所「DOUBLE “T”PROJECT」を設立し、ジャニーズ事務所から独立をしたのです。

この独立派事務所の反対を押し切ってされたものだと言われ、独立後はジャニーズ事務所タレントとの共演はなくなりました。

また、結婚し、長女が誕生した際に記者会見を行いました。

その際に「僕くらいビッグになると」という言葉だけがマスコミに取り上げられ、バッシングされました。

そして、批判が相次ぎ、メディアから姿を消してしまいました。

それでも、古くからのファンたちに支えられ、毎年コンサートツアーやディナーショーを行い、地道な努力を辛抱強く行ってきた結果、マスコミの注目を再び集めるようになりました。

そして、2011年以降、「爆報!THEフライデー」という毎週放送のバラエティ番組で司会をこなし、見事復活を遂げたのです。

野村義男

野村義男は、1990年ジャニーズ事務所を退所後は、ギタリストとして活躍しています。

ギタリストとしての活動はジャニーズ事務所在籍時より夢であったようです。入所時より詳しくみていきたいと思います。

1976年、12歳の時に代々木公園にあったゴーカート乗り場で遊んでいた時に、ジャニー喜多川の目に留まり、スカウトされて事務所入りをしました。

そして、1979年、15歳の時に「3年B組金八先生」に出演し、大ブレークしました。

アルバムでソロレコードデビューしたり、バンドグループを結成したりするなどしました。

この時、ジャニー喜多川は近藤真彦のようにレコードデビューさせて、たのきんトリオ(田原俊彦、近藤真彦、野村義男)全員を歌手にさせたいと考えていました。

しかし、当時から将来ギタリストとして活動したいと考えていて、アイドル歌手としての活動に興味がありませんでした。

それでも、レコードデビューしてほしいジャニー喜多川は、「バンド形式なら」などと条件を次々と提示し、交渉しました。

そして、野村義男からOKか出されて本格的なデビューが決定しました。

ちなみに、1983年の日本レコード大賞では最優秀新人賞を受賞しました。

1990年に決定していたバンドが活動休止になると、26歳のときにジャニーズ事務所から独立しました。

その後はギタリストとして活動するようになり、1998年からは浜崎あゆみのバックバンドでギタリストを務めました。

また、ジャニーズ事務所タレントとの共演がNGというわけではなく、1996年から放送された「LOVE LOVEあいしてる」ではKinKi Kidsと共演していました。

薬丸裕英

ジャニーズ事務所在籍時から「やっくん」と呼ばれ親しまれてきて、今に至る薬丸裕英。

ジャニーズ事務所退所後はマルチタレントとして芸能界で活躍しています。

1982年から「シブがき隊」のメンバーとして歌手デビューしました。

アイドル黄金期の年で、中森明菜や小泉今日子なども登場し、「花の82年組」と呼ばれることとなりました。

シブがき隊は5回紅白歌合戦に出場し、活躍していました。

そして、メンバーの本木雅弘、布川敏和が解散を希望したり、提案したりする中、薬丸裕英は解散に反対していました。

しかし、本木雅弘が意思を通して、結果的に解散しました。

シブがき隊は7年活動しました。

そして、解散を期にメンバー全員がジャニーズ事務所を退所しました。

薬丸裕英が退所した年は1989年でした。

退所後は1995年から番組がスタートした「出没!アド街ック天国」や1996年からの「はなまるマーケット」にレギュラー出演していました。

はなまるマーケットでは、岡江久美子とともに司会を17年半務めました。

現在は「バイキング」の木曜日レギュラーとして出演していて、テレビで活躍しています。

ちなみに、ジャニーズ事務所退所後の1990年、同じ花の82年組として活躍していたアイドルの石川秀美と婚約を発表しました。

そして、石川秀美は妊娠を発表しました。

2人の交際は1985年頃からスタートし、1989年に薬丸裕英がプロポーズしました。

ジャニーズ時代から極秘交際をしていた薬丸裕英と石川秀美。

すでに、石川秀美は芸能界を引退しましたが、2015年に挙式を挙げ、また3人の息子と2人の娘に恵まれるなど、現在も夫婦の仲の良さは昔と変わっていません。

布川敏和

ふっくん」と呼ばれ親しまれてきた布川敏和。

現在はタレントとして活躍しています。

15歳ごろからジャニーズ事務所に所属し、1982年にシブがき隊を結成し、レコードデビューを果たしました。

1988年に代々木第一体育館のコンサートにてシブがき隊は解散し、布川敏和はジャニーズを退所しました。

解散について、布川敏和は同じジャニーズ事務所所属の少年隊に脅威を感じていました。

少年隊は歌やダンスのレベルが高い為です。

人気絶頂のうちにシブがき隊は解散したほうがいいのではないか」と提案していました。

解散・退所後、1991年につちやかおりと結婚し、1人の息子、2人の娘をもうけました。

しかし、2014年5月に別居会見を2人別々の場所で行い、6月に離婚会見を行いました。

ちなみに、子どもである布川隼汰、布川桃花、布川花音もタレント活動をしており、テレビでは子どもたちと共演する布川敏和の姿もよく見られます。

本木雅弘

1988年、シブがき隊・解散、ジャニーズ事務所・退所後は俳優として大活躍しています!

1982年シブがき隊のもっくんとして、歌手デビューしました。1986年には「スシ食いねぇ!」をリリースし、大ヒットしました。

しかし、解散したいと希望したのをきっかけに、メンバー3人(薬丸裕英、布川敏和、本木雅弘)で話し合いが行われ、人気があるうちに解散になりました。

不仲説もありましたが、解散の決定的な理由ではありませんでした。

そして、ジャニーズ事務所退所後は、演技力を生かして役者として活動していました。

テレビドラマでは「坂の上の雲」や「西遊記」に出演し、映画では「おくりびと」「巌流島」などに出演し、活躍しています。

1995年には内田也哉子と結婚し、婿養子となりました。

義父は内田裕也、義母は樹木希林となり、有名家族として世間を賑わせました。

大沢樹生

1996年喜多嶋舞と結婚し、子どもを授かりますが、2005年に離婚しました。

この時に生まれた息子と大沢樹生との父子確率0%が判明し、世間から注目を浴びました。

1982年、姉が履歴書を送ったことから小学校6年生でオーディションに合格し、ジャニーズ事務所に入所しました。

1983年、イーグルスのメンバーとしてレコードデビューを果たしました。しかし、グループは自然消滅してしまいました。

そして、1987年光GENJIとして再びレコードデビューを果たしました。当時大沢樹生は18歳でしたが、20歳とサバを読んでいました

光GENJIはスーパーアイドルとして活躍し、ローラースケートを履いて踊るパフォーマンスで人気を博しました。

そして、1988年「パラダイス銀河」で日本レコード大賞を受賞しました。

人気絶頂の最中、大沢樹生は1994年、光GENJIを脱退し、ジャニーズ事務所を退所しました。

退所後は俳優業のほかにソロアーティストとしてシングルやアルバムをリリースしました。

1996年には喜多嶋舞と授かり婚をしましたが、2005年に離婚します。

この時、息子の親権は喜多嶋舞側にありましたが、2007年より大沢樹生が親権を持つようになりました。

しかし、2013年DNA型鑑定により、大沢樹生と息子が父子確率0%であることが判明しました。

親子関係にないという事実は、ワイドショーで何度も取り上げられ、世間に名を知らせることになりました。

その後、親権は喜多嶋舞に移りましたが、喜多嶋舞本人が拒否した為、祖母である内藤洋子に親権が渡りました。

2008年、大沢樹生は一般女性と再婚し、2014年には、女児が誕生しました。

大沢樹生は喜多嶋舞との離婚後は別の女性と再婚をし、幸せな生活を送っています。

諸星和己


かーくん」の愛称で親しまれてきた諸星和己。

ジャニーズ事務所退所後は目立った芸能活動は見られませんでしたが、最近少しずつ「元光GENJI」としてテレビでぶっちゃけトークをしたりと活躍しています。

1970年に静岡県の米屋の次男として生まれた諸星和己は、1984年の中学2年生のときに友達と家出をし、上京しました。

その時に原宿駅前でジャニー喜多川にスカウトされました。

そして、1986年に「アイドル花組おとこ組」のオーディションを受ける形でジャニーズ事務所に正式に入所します。

1987年に光GENJIとしてデビューすると、天真爛漫キャラで人気・知名度も高く、センターと務めていました。

1994年にソロデビューをするなど、活躍していましたが、1995年にグループが解散し、ジャニーズ事務所からも独立しました。

その後は個人事務所の設立や音楽レーベルを立ち上げるなど、積極的に芸能活動をしていました。

しかし、2001年5月に渡米したことをきっかけに、諸星和己の人生が変わりました。渡米をきっかけに、芸能活動は引退しようと決めていたのです。

9月にアメリカ同時多発テロ事件が発生しました。

当時、日本のテレビ局は現地でリポーターをしてくれる日本人芸能人を探していました。

しかし、テロの危険を感じていた為、多くが帰国してしまっていました。

その時に諸星和己が現地にいることを知った番組スタッフが出演を交渉し、「情報プロジェクトS」にて現地リポーターとして芸能活動に復帰する結果となりました。

2010年以降、光GENJIメンバーが集結し、活躍しています。

クイズ☆スター名鑑」ではローラースケート対決を行ったり、プロ野球の試合にて始球式を行い、光GENJIデビュー曲「STAR LIGHT」をローラースケートで披露しました。

山本淳一

ジャニーズを退所後は、芸能活動を離れ、広告バナー会社の営業を始めた山本淳一。

芸能界は引退していますが、芸能活動中は引退後はどのような生活を送っているのかみていきたいと思います。

1986年にジャニーズ事務所に入所すると、半年後の1987年に光GENJIメンバーとしてデビューしました。

1995年に光GENJIが解散しますが、山本淳一はジャニーズ事務所に残り、ソロ活動を始めました。

そして、2001年に女優の遠山景織子との間に長男が誕生します。しかし、入籍せずに破局してしまいます。

長男は遠山景織子がシングルマザーとなり育て上げました。

翌年、2002年に山本淳一はジャニーズ事務所を退所しました。

退所後2006年にバナー広告ホームページ「ミリオンダラーハッピー」という会社を設立し、営業マンとして芸能界から離れ、生活を始めました。

2011年に営業マンとしての活動に一旦区切りをつけると、同年の2011年に、TUBEの東日本大震災復興応援歌「RESTART」に参加しました。

そして、ソロ活動を再開させるのです。

ゆっくりとソロアーティストとして活動していたと思いきや、2013年に所属事務所との契約が解除となりました。

原因は借金問題でした。

しかし、2014年に芸能活動を再開しました。

今は目立った芸能活動をしていませんが、愛媛県に住みながら、友人のBARでアルバイトをして、生計を立てて暮らしています。

赤坂晃

ジャニーズ事務所退所後に、2度のクスリ所持で逮捕されている赤坂晃。波乱万丈な人生をみていきます。

1987年ジャニーズ事務所に入所し、光GENJIメンバーに選ばれました。そして、メンバー最年少14歳でデビューします。

1995年光GENJI解散後は、ジャニーズ事務所に所属したまま、役者として活動しました。

そして、2001年に堀越高校時代の先輩だった一般女性と結婚し、2002年に長男が誕生するなど、順風満帆な生活を送っていました。

しかし、2007年東京・豊島区東池袋の路上でクスリを1g所持していたとして、現行犯逮捕されました。

以前からストレスがあった」と話し、2007年4月からずっと使用していたことを認めました。

クスリ所持を重く見たジャニーズ事務所は翌日、解雇を発表しました。

そして、2007年3月に離婚もしていたとジャニーズ事務所の顧問弁護士によって明らかになりました。

東京地裁は執行猶予3年懲役1年6か月の判決を下しました。

事件後、赤坂晃は飲食店を自ら立ち上げて勤務していましたが、2009年に事件が再び起こりました。

新宿のホテルで宿泊していたところ、クスリの使用が発覚したのです。執行猶予期間中に再度逮捕されました。

そして、2010年に千葉地方裁判所から懲役1年6か月の実刑判決を受けました。

2012年まで服役したのちは、バーを経営していました。

その後、2015年に舞台やバラエティ番組でテレビ復帰し、2018年に音楽活動を再開させました。

2度の逮捕で世間を驚かせましたが、現在は徐々に芸能活動を再開させています。

森且行

オートレーサーになる」と所属していたジャニーズ事務所もSMAPも辞め、芸能界も引退した森且行。

中学時代に兄とジャニーズ事務所のファンクラブ「ジャニーズ・ファミリークラブ」へ直接履歴書をもっていって、頼み込み、2人ともジャニーズ事務所入りを果たしました。

1987年、SMAPの前身グループであるスケートボーイズの一員になると、1988年にSMAPが結成され、メンバーに選ばれました。

そして、1991年にCDデビューを果たしました。

デビュー後は音楽番組、バラエティ番組など様々なメディアで活躍しましたが、1996年にオートレーサーに転身することを決意しました。

そして、SMAP、ジャニーズ事務所、芸能界を引退しました。

引退後、2017年の「72時間ホンネテレビ」にて香取慎吾、草彅剛、稲垣吾郎と共演するまで、SMAPメンバーと共演することはありませんでした。

しかし、SMAPが出演する27時間テレビで手紙が読まれたり、バラエティ番組で森且行とのエピソードが披露されたりしたので、SMAP活動期にファンは共演を望んでいました。

ちなみに、オートレーサーへの転身の夢は中学時代から持っており、身長制限があった為に転身は断念していましたが、年齢制限が最後の年に身長制限が緩和された為、転身を決意しました。

芸能界引退後に入学するオートレースの養成学校では丸刈りにしなければなりませんでした。

その為、養成学校入所の前日に稲垣吾郎を除くSMAPのメンバーで森且行の自宅に集まり断髪式を行いました。

この時、稲垣吾郎は六本木でワインデートをしていたと、のちに本人が語っています。

森且行が芸能活動をしているときも、引退したときも仲が良かったSMAPですが、なぜ、SMAPが解散するまで森且行は共演を果たさなかったのでしょうか。

それは、「オートレースで日本一になると約束したので、日本一になれるまでは考えていません」と共演することを自ら否定し、約束を果たしたうえで再会しようとしていたのです。

森且行はオートレーサーとして成功の道を歩んでいます。

山口達也

ジャニーズ事務所に所属しているときに、2018年、女子高生に対して酒を飲ませてわいせつな行為をしたとして、強制わいせつ容疑で書類送検されたことが報道されました。

ジャニーズ事務所は芸能活動を無期限謹慎すると発表しました。

しかし、山口達也自身がTOKIOに辞表を提出しており、ジャニーズ事務所が受理する形で、山口達也はジャニーズ事務所を退所しました。

退所後、すぐに入院をしました。

山口達也はお酒をよく飲み、結果的に事件に発展してしまったのではないかと言われていました。

しかし、入院したのは1人にしてしまうと、なにをしてしまうかわからない為だと言います。

精神的に参ってしまっており、最悪、自殺をしてしまうかもしれないとのことで、入院しました。

現在は、躁鬱状態と診断され、治療のために闘病生活を行っています。

TOKIOの音楽活動は山口達也の事件をきっかけに休止状態になりました。

山口達也が無事元気になり、TOKIOも音楽活動を再開してほしいとファンの声が多く上がっています。

赤西仁

 

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ジャニーズ事務所とは芸能活動の方向性の違いから、契約更新に至らずにそのまま退所した赤西仁。

現在は事務所に所属せずにフリーとして、音楽活動をしています。

ジャニーズ事務所所属時から方向性の違いが少し見え隠れしていました。

1998年にジャニーズ事務所に入所し、2001年にKAT-TUNメンバーとして選ばれました。

そして、2005年にドラマ「ごくせん」で大ブレイクします。

ブレイクの波にのったまま2006年に3月CDデビューを果たすと、デビュー曲「RealFace」はミリオンセラーの大ヒットをしました。

しかし、2006年10月に語学留学を理由に芸能活動を休業しました。

半年後の2007年に帰国すると、ドラマ「有閑倶楽部」でドラマの初主演を果たし、芸能活動復帰を果たしました。

2010年には「BANDAGE」で映画初出演初主演を果たし、劇中バンドであるLANDSのボーカリストとして、CDを発売しました。

そして、ソロライブを日本にとどまらず、ロサンゼルスで行い、結果的にKAT-TUNのライブツアーに参加せず、KAT-TUNとしての活動予定も未定の状態になりました。

ソロ活動に力を入れる赤西仁でしたが、当時は脱退や解散という話はありませんでした。

2010年に正式にKAT-TUNを脱退する方針がジャニー喜多川から発表されました。そして、赤西仁本人からもソロ活動を発表しました。理由として、方向性の違いと答えています。

このとき、まだジャニーズ事務所に所属していましたが、異例のツイッターアカウントを開設し、アメリカでのプロモーション活動の一環として更新し続けました。

その後、ソロ活動として音楽活動を続けていましたが、2012年に女優の黒木メイサと結婚したことが発覚しました。

また、事務所への報告が事後報告だったことも発覚し、ペナルティとして、全国ツアーの中止内定していたドラマの降板の処分を受けました。

翌年、2013年新曲が発売されることになり、芸能活動が1年半ぶりに再開されました。

しかし、2014年に契約満了と再契約は行わないことでジャニーズ事務所と赤西仁が合意し、事務所を退所することになりました。

退所後、留学の経験やジャニーズ事務所所属時のソロ活動時の経験から、海外での活動に力を入れ、世界的に活躍しています。

2019年にジャニーズ事務所社長のジャニー喜多川が死去した際には、自ら作詞作曲した曲で、ジャニー喜多川を送り出しました。

田中聖

 

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2013年にジャニーズ事務所を「度重なるルール違反行為があった」として契約解除され、所属していたKAT-TUNも脱退することになった田中聖。

しかし、「今後もタレント活動を続けたい」という思いから、2014年沖縄国際映画祭で姿を見せ、役者としても活躍していました。

そして、5人組バンドINKTのメンバーとして音楽活動を始めると発表し、芸能活動を再開させました。

そんな中、2017年に渋谷・道玄坂の路上で、大麻を所持していたとして、現行犯逮捕され、バンド活動も個人としての活動も休止状態になりました。

2017年に証拠不十分で不起訴処分になりましたが、INKTは解散しました。

解散後、個人として歌手活動を再開させました。

音楽イベントに数多く出演し、単独での全国ツアーを開催するほどまでになりました。

ジャニーズ事務所退所後は波乱万丈でしたが、歌手としてこれからもっと注目を浴びそうです!

田口淳之介

2016年ジャニーズ事務所を退所した田口淳之介。

当時、退所後のビジョンは白紙状態としており、一緒にKAT-TUNとして活動していた中丸雄一は「具体的なビジョンは聞いていない」としていました。

退所後は個人事務所を設立し、インディーズシングルを発売し、ソロデビューしました。

2017年にはユニバーサルミュージック2年間の専属アーティスト契約を結び、メジャーデビューすることが発表されましたが、2018年に契約が終了してしまいました。

退所後、ソロデビューを果たしても、ソロ活動がうまくいかない日々が続きました。

そして、2019年大麻取締法違反の疑いで元女優の小嶺麗奈とともに逮捕されました。

田口淳之介と小嶺麗奈はジャニーズ事務所所属時から交際していました。

田口淳之介が大麻を使用しはじめたのも、小嶺麗奈の影響があるのではないかとファンの間では言われています。

ジャニーズ事務所社長のジャニー喜多川が死去した際、ジャニーズ事務所を退所したタレントも恩人だったジャニー喜多川に対し、追悼のメッセージを送りました。

しかし、田口淳之介は裁判中の為、ジャニー喜多川にメッセージを公には送っていません。

滝沢秀明

2018年芸能界を引退し、ジャニーズ事務所社長のジャニー喜多川の意思を継ぎ、ジャニーズJr.の育成プロデュース業に専念する道へ進みました。

引退前にはジャニーズJr.グループのSixSTONESのミュージックビデオ「JAPONICA STYLE」をプロデュースし、公開され、話題になりました。

また、芸能活動中から「タッキー」の愛称で親しまれていたため、引退後も「タッキー演出」などとメディアから紹介されることもあり、プロデュース業に期待されています。

引退後の2019年、ジャニーズ事務所傘下に関連会社として、ジャニーズアイランドが設立され、社長に就任しました。

ジャニーズJr.のプロデュース新人発掘に取り組むことを事業として設立されました。

2019年8月8日、東京ドームにてジャニーズJr.単独ライブが開催されました。ジャニーズJr.単独ライブが東京ドームで開催されるのは20年ぶりです。

滝沢秀明も20年前に東京ドームで開催されたジャニーズJr.単独ライブに出演した経験があります。

当時、ジャニーズJr.のリーダーのような存在だった滝沢秀明。

嵐や関ジャニ∞のメンバーも同じく出演するなど、ジャニーズJr.黄金期と呼ばれるメンバーが出演していました。

引退前に滝沢秀明は「10年の間にもう一度Jr.の黄金期を作りたい思いが強い」と話しています。

引退して1年でジャニーズJr.単独ライブを演出したのですから、ジャニーズJr黄金期をもう一度作れたのではないでしょうか。

今井翼

1995年にジャニーズ事務所に入所し、2002年にタッキー&翼が結成され、デビューを果たしました。

デビュー後は順風満帆に活躍していましたが、2017年にタッキー&翼が活動休止、2018年に解散しました。

そして、今井翼はジャニーズ事務所を退所しました。

2014年頃からメニエール病であることが判明し、何度か芸能活動を休業してきました。

活動を再開することもあった為、病状はよくなっていると思われてきました。

2018年にタッキー&翼が解散したことを公式発表した際、「メニエール病については療養中であり、改善はしてきている」と病状を明らかにしました。

しかし、けじめとして事務所を退所し、「心身ともに健康な状態になるように治療に専念したい」と話しています。

現在は療養中ですが、芸能界は引退していません。「いつの日か何らかの形で」と再開したい意思を示しています。

幼少期から横浜DeNAベイスターズのファンであったり、FCバルセロナのファンであったりすることから、スポーツ番組に出演する形で復帰する可能性もありますね!

森内貴寛

 

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ジャニーズ事務所退所後は、ロックバンド「ONE OK ROCK」のボーカルとして大活躍しています。

知られてないことも多いのですが、ジャニーズ事務所に所属していたこともあり、山下智久や手越祐也とともにNEWSのメンバーとして9人組でCDデビューを果たしていました。

2001年ジャニーズ事務所に入所し、2003年にNEWSのメンバーに選ばれました。

そして、CDデビューを果たしましたが、学業に専念するという理由で、活動を休止し、そのままグループを脱退、事務所を退所しました。

退所後、もちろん学業に専念し慶應義塾湘南藤沢高等部へ入学などしていますが、共通の友人とともにRIZEの金子ノブアキと食事をする機会があり、ライブに誘われました。そして、ライブをみてロックに目覚めたのです。

ジャニーズタレントとして活動していたときは、父親である森進一から条件がありました。

レッスンは週に1回の土曜日のみ参加可能で、授業に差しさわりがあれば、即辞めさせるという厳しい条件でした。

バンドとして活動していたときも父親とは衝突が多かったのですが、ONE OK ROCK結成から5年目の武道館公演にて、父親母親の森昌子を招待し、両親への謝罪と感謝の気持ちを歌った「Nobody’s HOME」を歌い、感動させました。

日高光啓

現在、AAAのメンバーとして大活躍の日高光啓。

活動はAAAにとどまらず、ラッパーシンガーソングライターとして「SKY-HI」という名でも活躍しています。

ラップを始めたきっかけは中学生の頃のテレビの影響でした。

同じ中学生の頃、友達とジャニーズ事務所に履歴書を送り、ジャニーズJr.になりました。同期は小山慶一郎です。

そして、高校2年生のときに「音楽を作る仕事につきたい」という理由で就職活動をしました。

そのときに、「エイベックス男募集!」というオーディションに合格し、エイベックスに所属することになります。

当時は裏方の仕事に興味がありましたが、ジャニーズJr.で活動していたことラップをしていることをアピールした結果、AAAのメンバーとして選ばれました。

ジャニーズJr.の経験が生きているようですね!

浅香航大

 

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ドラマ「あなたの番です」や「グッド・ドクター」、映画「桐島、部活やめるってよ」など数々のドラマや映画、舞台に出演し、活躍する俳優の浅香航大ですが、ジャニーズJr.として活動していた時期があります。

2002年から2008年までジャニーズ事務所に所属しており、「J.J.Express」のメンバーとして高木雄也、中島裕翔、伊野尾慧、有岡大貴、橋本良亮とともに活動していました。

浅香航大以外のメンバーはHey!Say!JUMPA.B.C-Zのメンバーとして活躍し、デビューをしています。

ジャニーズ事務所を退所した理由を本人は話しています。

前事務所(ジャニーズ事務所のこと)をやめようと思い始めたのは、自分の思いと事務所の思いがしっくりいかないかぁと思い始めたからです。

僕は本当に一生懸命努力して、ファンの方励まされ頑張ってきました。しかし、頑張れば頑張るほどその思いが強くなり、辞める決断をしました。

自分自身と事務所の方向性の違いがあったと本人は話しています。

しかし、これは表向きの理由で、本当の退所理由は「電車の不正乗車でクビになった」と噂されています。

ジャニーズJr.として活動していた中学生時代、学校をサボったり、授業中にお菓子を食べたり、学校へ行っても周りと喧嘩したりと孤立していたようです。

浅香航大本人も「行列のできる法律事務所」に出演した際に、中学時代は荒れていたと話しています。

噂が本当かどうかは定かではありませんが、現在俳優として大活躍しているので、荒れていたエピソードを跳ねのけるぐらい大活躍してほしいですね!

室龍規

現在、目立った芸能活動は見られませんが、フリーの舞台俳優として活躍しています。

1998年光GENJIに憧れてジャニーズ事務所に入所した室龍規。

2006年頃に関西ジャニーズJr.浜中文一らとともに「自称ベテラン勢」と名乗り、Veteranが結成されました。

また、室龍規は3兄弟で、弟の室龍太室将也も同じ関西ジャニーズJr.として活動していました。

そして、2007年頃から室3兄弟として活動を開始させました。

2012年にジャニーズ事務所を退所しましたが、関西ジャニーズJr.のベテランメンバーとして活躍していた為、長く応援していたファンからは退所後も応援されています。

ちなみに、室龍規、室将也はジャニーズ事務所を退所しましたが、室龍太はジャニーズ事務所に所属しながら俳優として役者の道を進み始めています。

 

ジャニーズ退所後は、芸能界で活躍する人もいれば、芸能界を引退し、一般人として生活している人もいたり色々ですね。

現在、ジャニーズタレントとして活動している人もそうでない人もファンであれば、応援をしていきたいですね!

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