副業に失敗した芸能人20選!実はアノ有名人は借金していた?

まとめ記事

芸能界でタレントとして売れれば、大きな収入を得ることができます。

そこから収入を店舗経営や投資につぎ込めば、より稼ぐことができます。

しかし、すべての芸能人が本業以外で成功しているとは限りません。

成功している人もいれば、失敗して苦労している人もいます。

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元木大介

 

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読売ジャイアンツの選手として活躍していた元木大介。

引退から5年後、ラーメン店をオープンさせました。

ラーメン界の新人王を取りたい」と意気込み、徐々に店舗を拡大させていきます。

順調と思われていましたが、4年ですべて閉店することになりました。

閉店の理由として、「甘い考えでラーメン店を始めてしまったから」と話しています。

1号店は開店してから3年半で閉店しました。

店舗の場所選びや、オープンに至るまでに準備接客で失敗してしまったと話します。

クレームを言いに来る客も多く、きちんと向き合わなかったのが原因でした。

そして、次にオープンした2号店は6か月で閉店しています。

2号店に関しては、面接で採用したスタッフにすべて任せっきりにしていました。

そして、オープン後数か月後にお店に行くと、スープの色が変わっていたのです。

元木大介は、ラーメン店を開業するにあたり、修行をしています。

そして、1年半かけてスープ作りに力を入れていました。

試行錯誤を重ねて完成したスープに手が加えられて、まずいスープとなり、提供されていたのです。

また、スタッフに任せっきりの為、スタッフの管理がうまくできておらず、閉店に至りました。

スタッフの教育や管理をうまくできていれば、経営もうまくいっていた」と、元木大介は話しています。

ラーメン店の副業は失敗に終わりましたが、「今度はホルモン屋をやりたい」と意気込んできます。

失敗した経験を活かし、成功させてほしいですね。

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スザンヌ

 

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カフェをオープンすることが夢だったスザンヌ。

2015年地元・熊本でカフェ「CAFÉ BAR 8%」をオープンさせ、夢を叶えました。

しかし、お金の計算ができないまま始めてしまった為、3か月で経営が難しくなり、閉店しています。

スザンヌといえば、2007年にフジテレビ放送「クイズ!ヘキサンゴンⅡ」に出演し、ブレークしています。

里田まいと木下優樹菜らとともに、おバカタレントとして注目を浴びました。

スザンヌの天然具合は、テレビ用ではなくてホンモノだったようですね。

2011年に福岡ソフトバンクホークスの斉藤和巳と結婚し、2015年に離婚しています。

離婚後心機一転、カフェをオープンさせましたが、難しかったようです。

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千昌夫

 

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バブル期に「歌う不動産王」と名付けられていた千昌夫。

本業の歌手としての活動を控え、不動産屋「アベインターナショナル」を設立しました。

歌手活動で稼いだお金を不動産投資にもつぎ込みました。

一時、ホノルルのほとんどのホテルが千昌夫所有のホテルだったこともあります。

そして、不動産投資で順調に成功していました。

しかし、1991年のバブル崩壊をきっかけに会社は倒産。

借金は最高3000億円にのぼりました。

金額は芸能人の借金で歴代最高金額です。

千昌夫は「芸能界の借金大王」と新たに名付けられてしまいました。

2000年代には民事再生法や会社更生法が適用され、借金を完済することができました。

現在は、歌手として地方コンサートを精力的に開催しています。

本業を捨ててまで副業に手をつけるのは、とても危険ですね。

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篠田麻里子

 

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AKB48に入る前からの夢だったアパレルに手を出し副業をしていた篠田麻里子。

2012年、女性向けブランド「ricori」を立ち上げ、1号店を新宿にオープンさせました。

そして、1年半で4店舗出店するに至りました。

しかし、リボンを3つつけたタイツを4000円で販売し、「ぼったくり」「ダサい」と批判されています。

そして、2014年7月、全店舗閉店を発表しました。

発表は突然で、従業員も寝耳に水でした。

その結果、製造メーカーは億単位の借金を抱えることになり、販売元は自己破産してしまいました。

プロデューサーとしてブランドを立ち上げていたため、経営には携わっていなかった篠田麻里子。

2014年3月までricoriの名を使って仕事をしていたのですが、「去年までアドバイザーとして携わっていただけに残念」とTwitterにてツイートしてしましました。

ツイートをみた人から「責任逃れ!」と批判が相次ぎました。

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佐々木希

 

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2010年、デザイナーデビューをしている佐々木希。

愛犬とのペアルックがコンセプトのブランド「コットンクラウド」を立ち上げます。

2~3か月かけてデザインし、犬の服も2000~3000円で購入できるようにしました。

また、人間が着る服は痩せてみえるよう、こだわりをつめこみました。

しかし、レースなどを使った可愛すぎるデザインの為、あまり手が出せない女性が続出。

こだわり過ぎた結果、佐々木希ぐらい容姿が整っていないと着れない服となってしまい、

売り上げが伸びませんでした。

佐々木希自身も、芸能活動の両立が難しいと感じ、2年でデザイナー業は休止することに。

同時に、原宿の店舗も閉店となってしまいました。

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紗栄子

 

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ファッション通販などで、年商数億円を叩き出したことのある紗栄子。

実業家として成功している裏側で、失敗もしています。

2008年にディレクターとして、ファッションブランド「Peppi.Kitty」を立ち上げました。

販売は、父親が経営しているアパレル会社を通じて行われています。

しかし、2009年に6点の商品にデザイン盗作が疑われました。

他ブランドと似ていると指摘されました。

疑いについて謝罪などはなく、営業不振に陥り、2010年に閉店してしまいました。

その後、2011年にMARK-STYLE株式会社の「miraville」のプロデューサーになりました。

多くのブランドを展開している会社が新たにはじめたブランドに携わることになります。

しかし、1年経たないうちに契約満了が発表されてしまいました。

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花田虎上

 

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2002年7月に「ちゃんこダイニング若」の経営をはじめた若乃花こと花田虎上。

看板メニュー「塩ちゃんこ」を売り出し、テレビにも出演していました。

そして、国内28店舗、韓国に1店舗と拡大させます。

花田虎上の月収も1500万円を叩きだしていました。

しかし、2010年5月に4億4700万円の借金をし、東京地裁へ自己破産の申請をしています。

原因は夏場になるとお客さんが減ってしまうことや、メニュー開発を怠り、お客さんを飽きさせてしまったことでした。

花田虎上の月収も250万円まで減額してしまいました。

その為、従業員へ給料が支払われないなどのトラブルも発生してしまいました。

自己破産申請後は、個室居酒屋中心の「若の台所」をプロデュースしています。

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梨花

 

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ファッションブランド「MAISON DE REEFUR」を立ち上げた梨花。

2012年に代官山に店舗をオープンさせると、商品は即完売

すぐに全国に6店舗出店し、拡大することになりました。

そして、年商10億円を超え、実業家へ転身します。

しかし、代官山店をオープンさせてから7年後に全店閉店させてしまいました。

閉店理由は経営破綻というわけではありません。

2015年よりハワイへ移住しました。

一緒に暮らす長男も受験を経験し、ハワイの小学校に通っています。

夫も新たにハワイでビジネスを計画をしていました。

ハワイの物価は高く、日本と行き来すると交通費も多額の金額がかかります。

ハワイでの生活を諦めることも考えました。

しかし、家族のことを考えると、ハワイから拠点を動かすことは難しい状況でした。

子どもは学校に通っているので友達もいます。

その為、拠点を変えずに現地で生活を続けることが最善と考えました。

そして、日本でのビジネスを終了させ、ハワイで別ビジネスを考えているようです。

梨花は実業家として7年間で成長してきた経験があります。

年収は1億円減ったとのことですが、ハワイでのビジネスも梨花なら成功させそうですね。

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ヒロミ

 

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ジムを経営し、年収3億円を稼いでいるヒロミ。

経営者として注目されていましたが、オーナーとスタッフとの間でトラブルが発生。

一部のジムを閉鎖する事態になりました。

そして、経営者のヒロミも億単位の借金を抱えました。

また、経営者として波にのっているときに、室内でできるゴルフレッスンをはじめました。

お客さんは裕福なお金持ちの人が多いのが特徴でした。

順調かと思っていた矢先、雇っていたトレーナーをお客さん個人に引き抜かれてしまいます。

そして、廃業せざるを得なくなりました。

ゴルフレッスンの経営を経て、「ビジネスは引き際の早さも大事」だと話しています。

すべてのビジネスが当たるというわけではない。そう簡単ではない。

ジムや芸能プロダクションを経営しているヒロミ。

失敗をきっかけに新規ビジネスの厳しさを目の当たりにしました。

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阿部寛

 

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バブル期に、マンション購入をきっかけに不動産投資にはまってしまった阿部寛。

当時活躍していたモデルの仕事で人気を博し、大金を手に入れました。

そのお金を不動産投資につぎ込むものの、バブルは崩壊。

そして、不動産の価格が急落してしまい、多額の借金を背負うことになってしまいました。

借金の総額は数億円だったと言われています。

モデルの仕事は激減。

得意だったパチンコで生計を立てていたこともありました。

そして、モデル業から俳優業へと転身を遂げます。

テレビ朝日放送「TRICK」に出演し、再ブレークを果たし、少しずつ借金を返済していきました。

2007年公開の映画「バブルへGO!」の舞台挨拶にて、「最近になり借金を返し終えた」と話しています。

借金の完済に20年かかりました。

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さだまさし

 

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父の夢であった映画制作の為に投資したさだまさし。

1981年にドキュメンタリー映画「長江」を制作し、興行としては成功させました。

しかし、人件費などの諸経費がかかり、35億円の借金を個人で抱えることになりました。

事務所スタッフには「倒産したほうがいいのではないか」とアドバイスを受けました。

しかし、倒産は回避し、借金返済をしていくことを決めています。

返済に30年かかりましたが、本業である歌手活動はやめることなく、続けていくことで返済することができました。

借金返済時には、銀行員が助けてくれたりと「人に恵まれている」と感じたことが何度もありました。

副業には失敗しましたが、「人の情け」という大きな学びを得ました。

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石井竜也

 

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映画制作失敗してしまった石井竜也。

1994年に初監督映画「河童」を制作し、賞に選ばれるなどヒット作として注目されました。

しかし、1996年に2作目として「ACRI」を制作すると、ヒットせずに大失敗。

15億円の借金を抱えてしまいました。

石井竜也は人間不信に陥ってしまい、自殺を考えるようになりました。

自殺未遂を繰り返し、気持ちが滅入っている時に、父から電話がかかってきます。

自分がやってきたことを信じなさい。金なんて結局心がないもの。心がないものに命を預けるのか。

父の言葉を聞いて、石井竜也は「死ねない」と思い、必死の思いでコンサートを開催しました。

そして、5年で15億円の借金を返済しました。

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小倉優子

 

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小倉優子 ☆ゆうこりん☆(@ogura_yuko_0826)がシェアした投稿

「焼肉 小倉優子」という焼肉屋をプロデュースしていた小倉優子。

15店舗まで拡大させましたが、現在はすべて閉店しています。

実は、本人のブログで「イメージキャラクター」だったと告白しているのです。

「名前貸し」のかたちで副業していたことになります。

自分でビジネスを勉強し、信頼できる人に経営を任せていれば、成功するかもしれません。

名前だけ貸して、どんな商売が行われているか分からないようであれば、経営破綻をすぐにしてしまいます。

焼肉屋をしているとはいえ、どのような中身の焼肉屋なのか把握しておかなければ、一斉閉鎖してしまうのです。

名前を貸すだけで、自分は何も知らない状態であれば、必ず失敗します。

また、名前貸しで失敗してしまえば、世間からの目も冷ややかなものになり、批判も相次ぎます。

名前を貸すこと自体は簡単な行為ですが、相当な覚悟が必要です。

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尾崎将司

 

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バブル時代に多くの副業に手を付けていた尾崎将司。

ゴルフ場の開拓不動産投資などで稼いでいましたが、バブルが崩壊すると借金を背負います。

返済のために、30億円する自宅が競売にかけられ、所持金が全くなくなってしまいました。

2005年、借金の返済ができなくなってしまい、民事再生手続きしていることが判明。

不動産投資は当時結婚していた妻の失敗だった為、離婚もしてしまいました。

世間からは、ゴルフやCMで稼いでいるのに、どうして副業に手を出してしまったのかと批判が相次ぎました。

副業していなければ借金することもなく、本業のゴルフに集中できていたかもしれません。

生涯獲得賞金額ゴルフの記録借金地獄など、多くの武勇伝で世間から注目を浴びました。

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大場久美子

 

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1990年、レストラン「ホワイトバス」の経営をはじめた大場久美子。

しかし2年で経営不振になり閉店してしまいます。

そして、さらに2年後の1994年に借金1億4千万円が返せずに自己破産してしまいました。

大場久美子は覚悟を決め、報道陣の前で自己破産について記者会見を行います。

1990年の夏、所属事務所の社長に頼まれて「ホワイトバス」の代表取締役になりました。

しかし、実際の経営には関わっていませんでした。

社長の知人が経営していたのですが、すぐに経営不振に。

そして、多額の借金を残したまま行方がわからなくなってしまいました。

お店は閉店し、大場久美子が毎月106万円返済していました。

返済途中で、所属事務所が倒産

大場久美子は個人事務所を設立し、芸能活動を続けました。

しかし、年収は1000万円ほどで、収入だけでは借金返済が難しい状況となりました。

保険も解約し、両親からも借金しましたが、借金は減りません。

疲れ果ててしまった大場久美子は会見で明らかにするしかないと決断しました。

社長とは連絡がつかないとしながらも、1993年に一度会っており、借金があることは話をしていませんでした。

また、社長も「借金については知らない。自分も保証人なのに相談も来ず、なぜ破産を申し立てたのか」と話しています。

大場久美子は知人と共謀し、知人の借金を帳消しにしたのではないか偽装破産を疑われてしまうのです。

母も死去し、自身もパニック障害で闘病するなど、悲惨な人生を歩んでいました。

現在は回復し、精力的に芸能活動を行っています。

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小林旭

 

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本業の他にゴルフ場の開発でも収入を得ていた小林旭。

本業の映画出演で収入を得て、そのギャラをゴルフ場開発に投資しました。

しかし、14億円の借金を抱えます。

ゴルフ場はプロでも攻略できないような難しいコースで、人が来なくなってしまったからです。

小林旭はバブル景気の影響で、不動産投資でも収入を得ていました。

しかし、バブルも崩壊してしまい、不動産投資でも37億円の借金を抱えてしまいました。

借金は歌手デビューをして、地方を回り、返済していきました。

「昔の名前で出ています」等の名曲をヒットさせて、歌手活動を本格化させた小林旭。

2003年におよそ50億円あった借金の返済を終えました。

借金返済には、所有していた自宅も高級車も売却せず、生活を変えることはありませんでした。

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江川卓

 

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プロ野球人生を引退後、投資事業で実業家の転身を遂げようとしていた江川卓。

現役時代からすでに株式や不動産投資などの財テクに手を付けていました。

引退後にバブル景気も利用して、財テクを本格化させていました。

第一不動産グループの社長・佐藤行雄と交流のあった江川卓。

第一不動産グループは、高級宝石店「ティファニー」のニューヨーク本社ビルを買い取ったことで話題になった企業グループです。

江川卓は交流を深めて、第一不動産グループの社外役員として事業に参加しました、

そして、1991年に年商938億円を記録するまで成長を遂げました。

しかし、バブル崩壊に伴い、江川卓は50億円の借金を背負うことになりました。

そして、第一不動産グループも2007年に倒産、佐藤行雄も2009年に死去してしまいます。

50億円の多額の借金であれば、自己破産や民事再生の手段を選ぶのが一般的。

しかし、江川卓は自ら稼いで返済することを決めました。

スポーツ番組や芸能活動を精力的に行うことで、借金をすべて返済しました。

江川卓には、現役時代に活躍していた読売ジャイアンツの監督になってほしいと世間で囁かれていました。

しかし、借金を抱えてしまった以上、監督になることが難しいのが現実でした。

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かつみさゆり

 

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27年間、借金が減らなかったかつみさゆり。

関西で、副業に失敗し借金に苦労している芸人といわれれば、まず思い浮かべる夫婦コンビです。

夫・太平かつみが25歳頃から株や不動産投資3億円を稼ぎました。

しかし、バブル崩壊により稼ぎは借金へと変わりました。

4億7000万円の損をしてしまい、1億7000万円の借金を背負うことに。

また、優しい人柄だった太平かつみは知人の連帯保証人になってしまいました。

そして、尾崎小百合と結婚すると、夫婦コンビで借金を返済していきました。

しかし、返済中に新たな副業を始めることに。

まず、スナックを経営しま下が、家賃217万円を滞納し、倒産。

かつみさゆり自身がお酒が飲めず、経営は続きませんでした。

次に100円ショップの経営です。

損失は600万円でした。

太平かつみの母がバケツの発注を間違えてしまい、3か月で倒産してしまいます。

オオクワガタの養殖で収入も得ようとしました。

幼虫を1匹あたり1万円で購入し、成虫になれば、10万円で売れる予定でした。

しかし、損失は50万円

大切に育ててきていましたが、尾崎小百合がコバエ駆除の為にバルサンを焚いてしまいました。

そして、オオクワガタを死なせてしまいました。

2012年には大阪・道頓堀でスイーツ食べ放題の店を始めます。

副業で失敗に失敗を重ねていたかつみさゆりは店の経営をプロに見てもらっていました。

その為、今まで最も長い3年11か月続きました。

しかし、店舗ビルが香港の投資家に買収された為に、家賃が高騰

支払えなくなったために2016年に閉店しました。

挙げればきりがないほど、副業に手を付けては失敗の繰り返しだったかつみさゆり。

借金の返済は太平かつみが76歳尾崎小百合が70歳で返済が終わる予定です。

かつみさゆりは返済が終わってから人生を楽しむ為、長生きしないといけないと話しています。

借金返済が生きる原動力となっています。

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ほんこん

 

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副業として飲食店経営をしていたほんこん。

銀座にお好み焼き屋を出店し、最大3店舗まで拡大させました。

しかし、2店舗閉店させ、経営の難しさを感じたといいます。

一番苦労したのが、焼肉店の経営でした。

2008年、知り合いの男性に店長を任せて、焼肉屋「ほんこん亭」をオープンさせました。

1ヶ月目、2ヶ月目の売り上げは600万円、750万円と順調でした。

ほんこんには経営者として200万円の取り分がありましたが、3ヶ月目には取り分が入ってくることはありませんでした。

店長からは、「支払いが重なり、利益が出なかった」と説明されました。

4ヶ月目になると、まさかの取り分ゼロが続きます。

事態の不自然さを感じたほんこんは、伝票を調べて業者に確認することにしました。

すると、肉を仕入れた領収書は偽造されていたのです。

料理長が別の業者から肉を購入しており、差額の20万円を毎月着服していました。

そして、店長も店のレジから毎日1万円抜き取っているという事実も発覚したのです。

もちろん、店長にはきちんと給料が支払われています。

経理を担当していたのは店長の妻だった為、お金の動きが知られないように徹底されていました。

さらに、アルバイトの給料の支払いが遅れました。

ほんこんが金よこせって言って持って行った」とアルバイトは店長に聞かされていたと言います。

被害額は4ヶ月で数千万円に達し、ほんこん亭は閉店を余儀なくされました。

ほんこんは弁護士に相談しましたが、賠償金はとれないと言われてしまいます。

店長、店長の妻、料理長の行方は分かっていません

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たむらけんじ

 

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焼肉店のほうが、お笑いよりうまくいっている」と語っているたむらけんじ。

2006年から「炭火焼肉たむら」の経営を始めています。

しかし、2008年に出店した3号店で、食中毒が発生してしまいました。

すぐに謝罪コメントを発表して、展開していた3店舗すべての営業を自粛しました。

2011年には、新大阪で「炭火焼肉たむらのお肉が入ったカレー屋さん」をオープンさせました。

しかし、2016年に閉店。

経営には問題がなく、大人の事情で閉店したとしています。

さらに、2015年には奈良にカフェ「nagood」をオープンさせましたが、すぐに閉店。

カフェをプロデュースしたイタリアンレストレラン側とで金銭トラブルがあり、閉店してしまいました。

次々に店舗を展開したり、スーパーなどで商品の販売などを行ったり、経営者として評価されているたむらけんじ。

しかし、カレーやカフェの味には低評価がつけられています。

また、芸風もなかなか受け入れてもらえない為、経営状態が苦しいのではないかと言われています。

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