若い頃イケメンだった芸能人20選まとめ

若い頃 イケメン 芸能人まとめ記事

今回は若い頃、イケメンだった芸能人20選をまとめました。

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沢田研二

沢田研二 イケメン

沢田研二は1967年、ザ・タイガースの「僕のマリー」でレコードデビュー。

全員の持つ貴公子然とした雰囲気と、白馬に乗った王子様的な売り方で人気は大爆発。

既にジャニーズはデビューしてましたが、人気は圧倒的にザ・タイガースが上。

後のジャニーズ的な商法は、全てザ・タイガースの模倣と言えるでしょう。

ザ・タイガースは全員人気がありましたが、中でも沢田研二の人気は抜群でした。

ジュリー・アンドリュースが好きだったので、ついたニックネームがジュリー。

コンサート会場の「ジュリー!」「ジュリー!」の大声援は、演奏をかき消す程。

それは社会現象・問題として、芸能以外のマスメディアで取り上げられる程でした。

ソロになってからも、沢田研二の人気は衰えず、ヒット曲を連発。

映画・ドラマ主演含め、沢田研二は1967~80年初頭迄、紛れもないトップスターでした。

その後は歌謡界とは距離を置く形で、ライブ中心のロックバンド的な音楽活動に専念。

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木村拓哉

木村拓哉

1988年結成、1991年のCDデビュー後、長年、圧倒的な人気を誇ったSMAP。

SMAPはグループとしては勿論、個々にソロとしても活動も高く評価されていました。

中でも特に木村拓哉は、ドラマ・映画・舞台・バラエティ・CMと大活躍。

ベストドレッサー賞含め、各界で多くの賞を毎年のように受賞し続けています。

若き頃はロックミュージッシャンのような長髪に、やや不良っぽい口調の木村拓哉。

アイドルとしては異例の、同性からの高い支持も得た、当時は珍しいタイプでした。

木村拓哉、略して「キムタク」の名称は日本全国、年齢性別問わず広く浸透。

若い頃の「キムタク」はイケメン、色男の代名詞のような存在でした。

SMAP解散後も、年齢性別問わず好かれる、不思議な魅力が木村拓哉にはあります。

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風間トオル

風間トオル

風間トオルは専門学校時代、バイト先のカフェでモデルとしてスカウトされました。

阿部寛とともに、男性ファッション雑誌「メンズノンノ」で初代モデルになります。

複雑な家庭事情で、幼少の頃から貧困だった風間トオルの、若き頃の行動の動機は食。

カフェのバイトのまかない、モデルの撮影現場での食べ放題がそれでした。

そんな風間トオルの家庭の事情は、後年になって自らが語るまで誰も知りませんでした。

お坊っちゃま然とした雰囲気の、サーフィン好きの笑顔爽やかで健康的な美青年。

風間トオルのモデル時代のイメージはこんな感じで、女性に大人気になりました。

その後は「チェックメイト」のモデルを経て、26歳でテレビドラマで俳優デビュー。

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阿部寛

阿部寛

阿部寛は一浪後、中央大学在学中に「集英社第3回ノンノボーイフレンド大賞」に応募。

姉に薦められ阿部寛が応募した動機は、優勝商品の車が欲しかったからだそうです。

阿部寛は、創刊まもない雑誌「メンズノンノ」の看板モデルとして初登場。

女性誌「ノンノ」の男性版は女性に話題になり、189cmの長身に端正で可愛い顔立ち。

阿部寛はたちまち女性達の間で話題になり、カリスマモデルとして大ブレイク。

俳優経験がない人気の阿部寛は、映画でトップアイドルだった南野陽子の相手役に抜擢。

南野陽子との共演映画「はいからさんが通る」後は、テレビドラマからも声がかかります。

「メンズノンノ」のモデル契約終了する迄、1985~88年の阿部寛の人気は凄まじかった。

そんな阿部寛も、色男役しかやらなかったので新しい役者の仕事がこなくなります。

3年ほどどん底を味わいますが、阿部寛はその後、演技派男優として復活しました。

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三浦友和

若い頃 イケメン 芸能人

三浦友和はミュージッシャンになりたかったそうですが、1972年に役者としてデビュー。

デビュー作はテレビドラマ「シークレット部隊」の、ガードマン役でした。

当時の若者は、長髪にベルボトムのジーンズで、斜に構えた言動が当たり前。

三浦友和の七三分けで、見るからに好青年の端正な顔立ちの笑顔は、逆に異色でした。

三浦友和が一躍人気になるのは、当時の人気アイドルだった山口百恵との映画共演。

「伊豆の踊子」「潮騒」の二本の、山口百恵の相手役の文芸作品は大ヒット。

三浦友和の「昔の二枚目風」の風貌に、作品が見事にマッチしたと言えます。

三浦友和はその後も昔の日本の若者風の文芸作品や、山口百恵とのコンビ作品に出演。

テレビドラマ「赤いシリーズ」での山口百恵との共演も好評で、人気は大ブレイク。

三浦友和は1980年に山口百恵と結婚、現在まで役者として長い人気を誇っています。

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草刈正雄

草刈正雄

草刈正雄は、子供の頃「バービー」という愛称で呼ばれていたそうです。

九州の小倉で17歳の時にスカウトされ上京、定時制の都立青山高校に転入。

資生堂の専属モデルになり、同じハーフの団次郎の弟分としてCMデビューしました。

CMが全国放送なので、地元に残した母親に見てもらえのが、とにかく嬉しかったそう。

ハンサムだけど可愛い顔立ちの草刈正雄の人気は、資生堂のCMですぐに爆発。

テレビの歌番組「資生堂・サンデーヒットパレード」で、司会に抜擢されます。

この番組は歌謡曲だけでなく、洋楽も含めた今週のベストテン番組で若者に人気でした。

同じ司会の和田アキ子と大石吾朗との、草刈正雄の軽妙なやりとりも話題になりました。

デビューして僅か1,2年、トントン拍子で草刈正雄は人気者になっています。

地元に残した母親を呼び寄せ(米兵の父は既に朝鮮戦争で戦死)、その後は俳優に転向。

2020年9月現在、草刈正雄は68歳の今まで、息の長い俳優活動を続けています。

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岩城滉一

岩城滉一

2001年には70歳になる岩城滉一が、一躍注目されたのは芸能界デビュー前の1975年。

矢沢永吉のキャロル解散コンサートの警護を、バイクチームのクールスが担当しました。

日比谷野音で行われたこのライブ、後日テレビ放映され、冒頭に登場するのが岩城滉一。

バイクにまたがる革ジャン・リーゼントでサングラス姿の、色男の不良は注目を浴びます。

全く芝居経験のない岩城滉一はスカウトされ、同年すぐに東映で映画主演デビュー。

キャロル解散ライブから僅かに5ヶ月、岩城滉一はシンデラボーイだったと言えます。

1980年代になるとテレビドラマ「北の国から」で、お茶の間の人気者にもなりました。

若くして結婚もし子供もいた岩城滉一は、夫婦で出演のテレビCMで更に高感度アップ。

岩城滉一は三十路も超えた時、雑誌の「抱かれたい男No.1」に選出されました。

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hyde ハイド

hyde ハイド

実力派バンド、L’Arc〜en〜Cielは1990年代より長い間、抜群の人気を誇っています。

ハイドはバンドデビュー当時、ビジュアル系としても女性人気の高いシンガーでした。

インディーズ時代から本名、身長・体重、生年月日等、プロフィールを全て非公開。

L’Arc〜en〜Cielは見た目の艶やかさと異なる、メンバーは硬派で堅実な音楽家集団。

公式デビュー前のアルバムも、完成間際に作品のデキが気にいらずお蔵入りにしています。

発表したアルバムが、インディーズチャートで1位を獲得してからメジャーデビュー。

既に確固たるファンを獲得していたL’Arc〜en〜Cielは、すぐに大人気になりました。

シンガーのハイドは、声の良い謎めいた美青年と一般女性達も注目、人気は大ブレイク。

身長が低いのではないか?と噂されていましたが、今はプロフィールを公開しています。

身長は161cmと、男にしては低いですが、公表後も人気が衰える事はありませんでした。

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反町隆史

反町隆史

反町隆史は中学生の頃はジャニーズに所属していて、光GENJIのバックダンサーでした。

本名の野口隆史で活動していたその頃の、他の仲間は後のTOKIO、V6のメンバー。

もしそのまま、野口隆史がジャニーズにいたら、TOKIO、V6も変わっていた事でしょう。

そんな野口隆史は、役者を目座してジャニーズを辞めたわけではなく、女性問題で解雇。

今や家族円満の反町隆史ですが、野口隆史の頃はかなりのやんちゃ坊主だったようです。

その後、16歳の時にモデル事務所に入り、ファッションモデルとして活動。

反町隆史は若き頃から自分のルックスに、絶対の自信があったと思われます。

実際、ジャニーズ、モデル事務所に入りたくても簡単に入れるものではありません。

ティーエンジャーの頃から、反町隆史は誰がみても美少年だったのでしょう。

身長181cmの反町隆史は、その頃ボクシングジムにも通い体作りをしています。

反町隆史は二十歳の時、事務所を移り俳優としてデビュー、一躍人気者になりました。

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竹野内豊

竹野内豊

竹野内豊は、母親と姉が男性ファッション誌のモデルに応募し、芸能界入りしています。

竹野内豊は、そのまま高校時代からモデルをやり、大学には進学しておりません。

モデルを生業にし、この時期に何処かで演技、芝居の勉強をしていたのかもしれません。

竹野内豊は23歳の時、テレビドラマ「ボクの就職」で役者デビューしています。

デビュー翌年、竹野内豊はドラマ「星の金貨」でゴールデンアロー賞放送新人賞を受賞。

モデル上がりの俳優の中では、竹野内豊は早い段階で演技、芝居も高く評価されています。

179cmで美青年の若き竹野内豊は、瞬く間に女性達に注目され人気がブレイク。

1990年代後半のテレビドラマは、竹野内豊の女性人気で高視聴率を獲得していました。

竹野内豊はその類稀なるルックスの良さ、演技力だけでなく、声が素敵と定評もあります。

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Char チャー

Char チャー

カリスマギタリストとして長年に渡り、音楽業界でその人ありのチャー。

本名の竹中尚人=「ひちゃと」の子供言葉が、チャーという徒名になったそうです。

中学時代からスタジオミュージッシャンだったチャーのレコードデビューは、1976年。

音楽業界では高い評価を受けますが、一般的には売れず、商売にならなかったチャー。

1977年になるとアイドルになる事を決意し、自分を再プロデュースし直しています。

レコーディングとは別に、テレビ・ライブのバックメンバーはルックス重視のメンバー。

シングル曲は自作でなく、芸能界のシステムに従う方法に切り換え、目論見通りヒット。

話題のチャーはCM、テレビドラマ・バラエティ出演等、音楽以外の仕事も急増します。

チャーのライブ会場も、女の子達で溢れかえり会場は「チャー!」の黄色い声援。

チャーは思惑通りアイドル人気を獲得、商売にもなりましたが、ここで再び急転換。

アイドルをやめ元のロック活動に戻り、新しい男のファンも増え現在に至っています。

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竹内力

竹内力

竹内力は高校時代はサッカー部に所属し、卒業後は大阪の銀行に就職しています。

役者、芸能界に無縁だった竹内力は、上京していた学校の先輩に誘われ銀行を退社。

上京後は固い銀行員から一転、ライブハウスで勤務していた所、スカウトされました。

芝居経験があったわけでもない竹内力は、まず片岡義男原作の恋愛ドラマ映画に出演。

その作品は当時、飛ぶ鳥を落とす勢いだった角川映画の「彼のオートバイ、彼女の島」。

人気の原田貴和子(原田知世の姉)、渡辺典子との共演により竹内力は注目されました。

映画出演と同時に、竹内力は青春ドラマを中心にしたテレビ出演が続き、脚光を浴びます。

物腰の柔らかい役で、甘いマスクの爽やかな二枚目の竹内力は、女性人気が大ブレイク。

年齢を重ねるにつれ竹内力の顔つきは険しくなり、強面の役が増え現在に至っています。

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真田広之

真田広之

真田広之は、東京都品川区生まれ。

同じマンションに住む高田浩吉の息子と遊んでいたところを、スカウトされました。

真田広之は幼児向け雑誌モデルなどを経、5歳で劇団ひまわりに入団。

6歳の時に千葉真一主演映画でデビューし、高倉健の主演作品にも息子役で出演。

中学校入学と同時に、千葉真一の主宰するジャパンアクションクラブ(JAC)に入団。

映画出演を果たしますが、千葉真一のアドバイスで高校入学後、学業に専念します。

堀越高校から日大藝術学部に合格した頃から、再び本格的に芸能界に復帰。

若き真田広之は端正なマスクで女性に人気が広がり、レコードデビューもしています。

アイドル的女性人気の一方、JACで鍛えたアクションで男性からも支持されました。

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荒木大輔

荒木大輔

プロ野球関係者の荒木大輔の、高校時代の女性人気ぶりは、凄まじいものがありました。

松坂大輔の母親は、若き荒木大輔のファンだったので、我が子に大輔とつけたそうです。

荒木大輔の甲子園全国大会デビューは1980年、早実高校1年時の夏でした。

旅館の人に見送られ1回戦に向かい、試合に勝って帰ってきたら旅館の前は、女の子の山。

高校野球の全国大会は全国放映され、特にピッチャーは全イニング、アップで写されます。

厚顔の美少年の荒木大輔は、僅か1試合で日本中の女の子達のハートを鷲掴みにしました。

3年最後の夏まで、5季連続で甲子園大会に出場した荒木大輔人気は、社会現象でした。

早実の試合のスタンドは、女の子達の「大ちゃん!」コール、黄色い声援の雨霰。

当時の荒木大輔が投げる時の甲子園は、まるでアイドルのコンサートのようでした。

荒木大輔はドラフト1位でヤクルトに入団、引退後は解説者、コーチと野球一筋人生です。

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本木雅弘

本木雅弘 イケメン

ジャニーズの「たのきんトリオ」を世に送り出した、テレビドラマ「3年B組金八先生」。

1981年に姉妹編として放映の「2年B組仙八先生」で、本木雅弘は芸能界デビュー。

端正な顔立ちの本木雅弘は、正統派美男子として、女の子の間で話題になりました。

同番組で同じく注目された薬丸裕英、布川敏和と、本木雅弘は3人でグループを結成。

当初は生徒役の番組の通り「仙八トリオ」、「悪ガキトリオ」と呼ばれていました。

女性雑誌でグループ名を一般公募し「シブがき隊」と決まり、その後レコードデビュー。

1980年代の歌番組、バラエティで「シブがき隊」は、女の子達に人気抜群でした。

グループの中で他の二人と違い、通称「モックン」=本木雅弘は一人だけ寡黙なキャラ。

グループ解散後、本木雅弘はジャニーズを離れ、俳優として確固たる地位を築いてます。

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吉田栄作

吉田栄作

吉田栄作は、坊主頭でジャージのバスケット少年だった中学の頃から、モテてたそう。

髪を伸ばした高校時代から更に吉田栄作はモテだし、ピークは俳優養成所時代まで。

カフェでバイトしていた頃は、自分でも驚くほど女性にモテたそうです。

そんな身長182cmの甘いマスクの美青年、吉田栄作はモデルになりました。

その後「ナイスガイ・コンテスト・イン・ジャパン」で、吉田栄作はグランプリを獲得。

人気の後藤久美子との共演映画「ガラスの中の少女」で、俳優デビューしました。

その後はトレンディドラマを中心にテレビ出演、美青年の吉田栄作は女性に大人気。

1990年代の吉田栄作は、加勢大周・織田裕二と「トレンディ御三家」と呼ばれました。

矢沢永吉の大ファンの吉田栄作は歌手デビューも果たし、紅白歌合戦にも出場しています。

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藤木直人

藤木直人

藤木直人は、千葉県の佐倉高校2年時に「ミスター佐倉高校」全校1位に選ばれました。

若き藤木直人が自分のルックスが魅力的な事に、この時きっと気づいたのでしょう。

藤木直人は同時期、BOØWYの布袋寅泰に憧れギターを始め、俳優と音楽業を目指します。

藤木直人は一浪後入学した早稲田大学2年時、雑誌「メンズノンノ」のモデルに自薦応募。

最終審査で落選しますが、芸能事務所の目に留まり映画 「花より男子」でデビュー。

大学を辞めようとも考えたそうですが、無事卒業後、本格的に芸能活動を開始しました。

NHK朝の連続ドラマ「あすか」出演で、藤木直人のイケメンぶりが全国的に話題沸騰。

藤木直人は瞬く間に、全国の女性たちから熱い支持を得る、イケメン俳優になりました。

CDデビューも果たし、もう一つの念願、ミュージッシャン活動の夢も叶えています。

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近藤正臣

近藤正臣

近藤正臣の母親は京都の元祇園の芸妓で、後に小料理屋を営んでいたそうです。

近藤正臣の家庭は複雑で、母親は恋多き女性だったようですが、グレる事なく育ちます。

若き近藤正臣は家業を継ぐため、大阪の吉兆で板前修行に行きますが、すぐに挫折。

役者を目指しアングラ劇団、エキストラ、端役と京都と東京の往復生活に入ります。

そんな売れない役者の近藤正臣に、チャンスが来たのがテレビドラマ「柔道一直線」。

既に高視聴率だった「柔道一直線」に、近藤正臣は途中から高校生役で出演しました。

柔道も強くピアノも弾くクールでニヒルな色男、この結城慎吾役が見事にハマり大人気。

詰襟役の近藤正臣が、実は三十路手前で妻子持ちだったのは、当時は驚かれたました。

それだけ当時の近藤正臣のルックスは、観てる者達には、もっと若く見えたという事です。

人気沸騰の近藤正臣は大河ドラマ、そして恋愛ドラマの二枚目役の常連になりました。

下積みが長かった苦労人の近藤正臣は、糟糠の妻と現在も生活を共にしています。

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加山雄三

加山雄三

若き頃の主演映画シリーズから、80歳を超えた今も「若大将」と呼ばれる加山雄三。

両親を有名芸能人に持ち慶應大卒、スキーは国体出場の腕前を持つスポーツマン。

弾厚作名義で自分で曲を作りギターを弾き歌う、若き加山雄三は国民的な人気者でした。

マリンスポーツも得意な日焼けした肌に均整のとれた体つき、眉の濃い端正なマスク。

1960年代半ばから後半、20代の加山雄三は正にスーパースターでした。

そんな年齢性別問わずの人気の加山雄三が一転、人生最大のピンチに陥りました。

1970年、父親と共有名義だった茅ヶ崎のパシフックホテルが倒産、負債総額は23億円。

銀幕のスターの加山雄三は、テレビに活動の場を移しドラマ・バラエティ・CMに出演。

旧作の若大将映画が次世代にリバイバル人気にもなり、加山雄三は借金を返済しました。

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岡田真澄

岡田真澄

日本人画家の父、デンマーク人女性を母に持つ岡田真澄はフランス生まれです。

母親はデンマークの有名な、人魚姫の像のモデル、エリーネ・エリクセンの妹。

兄のE・H・エリックがトニー谷にスカウトされ、その関係で岡田真澄も芸能界入り。

日活、東宝ともニューフェイスに合格してますが、岡田真澄は日活を選んでいます。

1955年の映画デビュー後は、石原裕次郎、津川雅彦等と共にすぐ人気者になりました。

中でも群を抜いてハンサムなハーフ顔の岡田真澄の、ニックネームは「ファンファン」。

当時のフランスの美男俳優、ジェラール・フィリップの愛称から来ています。

日活退社後は東宝、東映の映画、そしてテレビ出演も増え、お茶の間人気も浸透。

岡田真澄はフランス語と英語も堪能、国際イベントの司会者もこなす多才ぶりを発揮。

晩年も、とんねるずのバラエティ番組で「ファンファン大佐」として、親しまれました。

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